佐賀県小城市三日月町 日蓮宗寺院〈天龍山泰平寺〉

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香田大尉のご遺品
二・二六事件で蹶起
香田清貞大尉
当山には二・二六事件で蹶起し、後に蹶起部隊指揮者の一人として刑死された、香田清貞陸軍大尉のご遺骨とご遺品が納められています。
香田大尉は明治36年(1903)に三日月村(当時)久米に生まれ、小城中学校(現小城高等学校)から熊本陸軍幼年学校を経て、陸軍士官学校に進んだ秀才でした。事件のときは歩兵第一旅団副官で、丹生誠忠中尉らとともに陸軍大臣官邸を占拠し、蹶起趣意書を読み上げました。
二・二六事件とは、昭和11年(1936)2月26日未明に起きた、陸軍皇道派の青年将校らによるクーデター未遂事件。「昭和維新」「尊皇討奸」を掲げて1483名の兵を率い、岡田啓助首相や高橋是清蔵相ら政府首脳・重臣を襲撃しましたが、結局この企ては成功せず、三日後に反乱軍として鎮圧されました。事件の背景には、当時の政治腐敗や不況による庶民の困窮があり、これらを改革しようとする純粋な思いが、青年将校らの行動に繋がったと言われています。

故郷に眠る遺骨
香田家之墓
昭和11年7月5日、東京軍法会議による判決で香田大尉以下、16人の将校に死刑の判決が言い渡され(このうち佐賀県出身者は4人[注1])、刑は7日後の12日に執行されました。
現在、香田大尉のご遺骨は故郷三日月の、当山墓地内にある香田家累代の墓に眠っています。また、大尉が死の直前に書き残されたご真筆の書なども、平成19年にご遺族から当山へ奉納されました。
私どもはこうした香田大尉とのご縁の深さを思いながら、これらを大切にお守りして行く所存でおります。
(注1:他の3人は、中橋基明中尉、竹嶌継夫中尉、中島莞爾少尉)

父よりの言葉
非理法権天
香田大尉が遺された書は、いずれもお子様たちに宛てたものです。日付はすべて刑が執行された当日になっていますが、文字の乱れなどは少しもなく、そこからはただ、わが子に向けた父親の深い愛情がひしひしと伝わって来ます。


上:「非理法権天」とは「非は理に勝てず、理は法に勝てず、法は権に勝てず、権は天に勝てず」という古い言葉。天を欺くことは出来ないという意味で、誠を尽くして国に報いる心を子供たちに伝えています。

下左:「父よりの最後の菓子だ、食べよ子供等」。慈愛に満ちたこの言葉こそが、まさに最後の贈り物だったのでしょう。

下右:「南無妙法蓮華経」と中央に書かれています。熱心な日蓮宗信徒だった香田大尉は、このお題目とともに、子供たちに「母ニ仕ヘテ至孝ナレ」と説いています。

父よりの最後の菓子だ、食べよ子供等 南無妙法蓮華経


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